大阪屋 たてものブログ

あらためて、今、自らに問う。

☆あらためて、今、自らに問う。‘‘神様の悩み‘‘というyoutube動画を観たんですが、一般的には「ああ、またHSのPRをするのか?」と、言われようが何をしようが、もう、そんなこと、とっくの昔に捨て去ったものであるし、どう思われても問題ないのですが、神様は我々凡人の悩みや願いを聴いて、その御心に叶い正しければ、その願いを聴いて実現させる方向で夢が叶うものだ。と、考えて来たのですが、

ここ数年、真説・八正道にまじめに取り組み出して、「反省」の意味が少しは理解出来て来たこともあり、昔のインフレ待望論風なことを、課題に向き合わず逃避したり、先送りしたままの、未だに、引きずる(再々延長する)ような考えは、やはり、それは執着であってやはり違うかな?と思っていて、

今年、60歳の還暦を迎える、街の不動産屋の平凡なおじさんが言う事なので、特殊なところは一切無いのですが、

何か思いついたことでも、すぐに忘れ去ってしまう癖があって、それらを防止するためにも「忘備録」のようなこのフォトログ記事を、これは!と、何か思いついた時に写真付きで記録に残して、「あの時は、確かこのように考えていた!」とか、後から簡単に見返せて思い出せることが、仮説→情報収集→検証の時間軸で、数年単位で眺めることがとても便利なので、今回もまた、懲りずに記事を書いて残しているのですが、

話を本題に戻しますが、この‘‘神様の悩み‘‘を聴いてみて、はじめて、あまりの神様の大変さに驚嘆し、唖然としてしまったんですが、ま、ま、そこは真摯に受け止め、向き合い、考えて見ればみるほどに、

自分は本物の仏子・神の子であるとするなら、もう、わがままを止めて、欲望の増大を願うのでは無く、仏教的精神というか、まずは、‘‘足ることを知る‘‘ことを考えて、一旦、すべてを白紙にして(真理学要論P86 8行目~)考えを直す必要性を・ま・じ・で・感じているんですね…。妖怪の反面教師的にもね。

最近で言うミニマリスト風に、ストイックに考えるというか、ストイシズムで生きるというかね…。経典や書籍はそれなりに必要かと思いますが、そちらの方向でも、十分に幸福感があるということです。

すでに、もう、あれから5年も歳月が経ちますか?

心不全で入院してからの貴重な「新復活」を体験させていただいて、正業(しょうごう)の仕事ならば、世間解というかその不動産業界でのルールや常識を踏まえて、売買契約などの平均打率をしっかり算出して、自分の能力も完全に・見・切・っ・て・しまった上で、やるようになって来ましたし、

自分の能力を超えてする仕事があるなら、細分化の原理を使い、協力者や助っ人を入れてやれる範囲で、確実にこなせる内容のものにしたりと、特にコロナ時代になってから、従前と違い、完全に仕事の方法も、もちろん総入れ替えで来ています。

そんなところは人から見て、外観では何も分かりませんし、政府のいう新しい生活様式に対しても、そのまま、受け入れ妥協するのではなく、「新しい問題には新しい考えや新しい発想で対応して行くべし」で、

それが出来ないのならば、廃業しか道がないのでは無いかとも考えています。ある種の背水の陣でしょうか。仮説→情報収集→検証のプロセスを醒めた目で眺めているということです。

特に高齢になった個人経営の不動産屋さんなんかは、社会的な大きな構造の変化で、すでについていけなくなって、これは他業種でも全く同じで、廃業されたのを何件もリアルに見ていたりもします。それは皆様も同じでありましょう。まさに諸行無常なことです。

ですから、柔軟な思考でしなやかな発想でもって、知の原理のあれ(馬が自らの影に怯えるや、赤ちゃんが泣くのは安全ピンの針が当たっていて痛いので泣くなどのたとえ)に代表される、見えなくなっている「盲点」の何かに、気がついていくことが大事だと思うのです。過去に、女子テニスの伊藤あおい選手の事例でも挙げましたが…。

最近、youtube番組で、これは!というのを見つけて、観だし始めているのですが、『昭和歴史探訪~あの街は今』というのが特にお気に入りで、掴みは「昭和レトロ感」満載で、ナレーションのお姉さんの個人的感想の入れ方も、映像も丁寧で、その「街」の顔とも言える施設や建物等の抱える問題、課題にも真摯に向き合った取材をしているところに、すごく好感を持って観ていたりします。

もちろん、スナップ写真を撮る為にぶらっと訪れる街の参考にも魅力で、これも蜘蛛の糸、救済の糸に感じており、今のその街のリアルな様子を、軽く紹介する「社会的意義」を感じるというか、愛があるんですよね。その街の心に寄り添う感じが良いんです。

何が言いたいのか? 真説・八正道で、物の見方も変わって来て、その思考も変わって来きて、見えなくなっている「盲点」に少し気が付き出した。ということです。

これも何度も何度も繰り返し述べていますが、宗教というのは、絶対価値の世界観で、相対価値にはありません。ましてや、HSは最高峰の宗教ですからね…。 私と仏、神との世界観であって、断じて他者との比較にはありません。実にシンプルなことですよね。

色々と与えられた諸条件等を深く考え、それらを踏まえた上で、さて、自分は、どうしたいのか?どう判断するのか?

他人に対してでは無く あらためて、今、自らに問う。ことです。

何らかのご参考になれば幸いです。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

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