大阪屋 たてものブログ

八正道プラス愛の探求。

☆「八正道プラス愛の探求。それは、おそらく現代人にとって望まれる修行の姿であり、現代人に対する福音ともなるはずです。」(太陽の法 第3章 愛の大河 P129 8~9行目)

還暦の60歳にして、太陽の法を再び読み返してみて、心に響いて来るところを少し挙げてみたのですが、私的に追求すべきは「八正道プラス愛の探求」かと思いました。

「人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです。

困難とはどういうものでしょうか。すなわち、病気があり、貧困があり、挫折がある。失恋があり、事業の失敗があり、友人の離反があり、愛する人との別離がある。きらいな人との出会いもあります。

さらには、年を取り、醜くなり、体が不自由になり、やがては死んでゆくのです。こうした現象をを現象だけ見れば、人生とは、苦悩と悲しみに満ち満ちているものかも知れません。

しかし、苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。つまり、苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に、選択を迫っているのです。選択とは、なにか。

つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です。愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは、神が人間に与えて下さったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。

神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は私たちに、愛を供給してくださっているのです。愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。」(太陽の法 第3章 愛の大河 P148~149 6行目)

この一節が特に好きで、「与える愛とは、すなわち無償の愛です。」と、その説明が続いていくところですが、妙に、瑞々しく新鮮に心に響くというか、少し、瞑想的というか内省的に、じんわりと、感じさせていただいております。

冒頭の写真のように本日の昼間も、晴天の酷暑の中で積乱雲が発達している様を1枚撮ってみましたが、家に帰って冷房の効いた部屋で、これらの一節を思索というか、主が、お隠れになったことで、起こる様々な出来事も含め、少し、正見で見直し、考え直してみました。それでも、与える側の人生を選びたいものです。

今回もご覧頂きまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

 

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