大阪屋 たてものブログ

「地獄に堕ちないための言葉」余話

☆「地獄に堕ちないための言葉」余話を、読みはじめましたよ。 元の「地獄に堕ちないための言葉」 は、コチラにUPしてあります。

大川隆法:釈尊の教えの始まりの、要するに、「眼・耳・鼻・舌・身・意」(げん・に・び・ぜつ・しん・い)、五官と本人の情の部分とが間違いを犯しやすい。つまり、この世のほうが本当の世界だと思ってしまう。「触れるものが本当の世界」で「見えるものが本当の世界」「聞こえるものが本当の世界」と思っているけれども、「いや、それはやはり乗り物として与えれているもので、‘‘自動車‘‘と‘‘運転手‘‘というのは違うんだ」ということだよね。‘‘運転手‘‘は魂で、‘‘自動車‘‘というのは唯物的なものですけれども、「自動車イコール自分だと思っていたら、ちょっと間違いを犯しますよ」ということなのです。

六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意のことです。「眼」は眼(げんはめ)、 「耳」は耳(にはみみ)、「鼻」は鼻(びははな)「舌」は舌(ぜつはした)だね。「身」は身体(しんはからだ)全体、それから「意」は心の思いです。それによって、この世での人との関係がいろいろ決まってくるのですが、これに対して—— それはもちろん、与えられているものだから、それを使ってこの世で生きていけばいいのですけれども——「魂の部分を忘れてそちらだけに走ると過ちを犯す」ということです。 (P36 2行目~P37 2行目まで)

何度も耳にしている仏言ではありますが、唯物論勢力が強い世の中ですから、初心に還って学び直したいものです。魂修行しているという「仏教的精神」を自らに根づかせ、浸透させ、その六根を日々清浄する「六根清浄」を、日々心掛ける必要がある。と、いうことなのでしょう。

「六大煩悩」に代表される、肉体煩悩における各種「執着」に囚われることなく、サラサラサラ~ッと、流してゆくことが大事なのでしょう。今回も、しっかりと教えを学んで行きたい!と、思います。

「妖怪にならないための言葉」余話では、「因果の理法」VS「自分の理屈」(妖怪的)が非常に印象が残っていて、妖怪度数の高い人ほど「因果の理法」では無く「自分の理屈 」に囚われるのかも…。と、思いますが、今回の「地獄に堕ちないための言葉」余話では、「5 さまざまな鬼の種類を明かす」に関心を持っています。特に良い方の「鬼」を具体的に掘り下げて学びたいです。

私事ではありますが、たとえば、スナップ写真の「絶対非演出」っていう言葉は、当フォトログでも使わせて頂いていますが、これは土門拳さんが言い出して広まった言葉なんですけれど、

元々、『鬼の土門拳』と呼ばれていて、被写体と向き合う姿勢が、「武士」や「鬼」と形容するような真剣勝負な向き合い方で、著名な人物を多数、写真に撮られて残されたようで、そうした高い精神性を込めて撮られていた。と、いうことなんですよ。

なかなか真似ることができるとは思いませんが、この土門拳さんは、きっとそうした良い「鬼」の一人だと思うんですよ。日本のスナップ写真の草分けとも言える、先駆者でもあり作品を沢山残して下さったので、写真愛好家として本当にありがたいんですよ。

特に「絶対非演出」というスナップ写真の在り方を、ある種の完成形として残して下さっていて、それを時代が少し下った今、シャッターを押せば誰もが写せる垣根の低くなったデジカメ時代に、それを手本にして、学ばせて頂いているということなんです。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

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