☆あとがき・解説に「『地獄の法』『小説 地獄和尚』に続いて、本書、『地獄に堕ちないための言葉』を読むことで、地獄についての概要が見えてきたと思う。」とあり、あの世の地獄というところがどのようなところか、ふつうにこの3冊を読み込めば、その輪郭が掴めるといった感じでしょうか。
主、エル・カンターレ自らが霊界の「地獄界探訪」をして見て来られたことを、100の言葉で体感させていただける、書き下し箴言集(しんげんしゅう)です。
恐ろしい描写やおぞましい描写が沢山で、リアルな霊的真実がみごとに明かされていると思います。
『仏教では、地獄も仏法真理、因果の理法が張り巡らされていると考えるのだ。』 (No7、P10)
『地獄に堕ちないためには、神仏への正しい信仰が必要である。唯物論、無神論、無霊魂論、科学万能主義では、天上界には還れない。 』 (No77、P86)
『善因善果、悪因悪果は、この世で実現する方がよい。それが完結のない世の中となると、地獄界が増大する。』 ( No8、P11 )
元々、他のどんな宗教よりも、仏教は、地獄界の様子をリアルに描写して、この世の悪業が死んだのち、あの世ではどうなるのかを、昔は高僧が民衆に教えていて、
たとえば、恵心僧都源信という高僧は「往生要集」という大著まで表して、種々の地獄界の描写を、後世の人々のために遺した事実があり、その「往生要集」を紐解くと、今でもその痕跡が残っています。
「それは昔話の寓話の世界で、全くの作り話しだよ。」と、嘯(うそぶ)く者も確実に閻魔様の裁きがあって、No7 に、地獄も 仏法真理、因果の理法が張り巡らされている。と、ある通りに、西暦2023年の現代でも変わらず連綿と続いているということを、主、エル・カンターレ(造物主)が、こうして下生して「法」を説いて教えて下さっているということです。
もう、最初から手のつけられない、どうしようもない人は助けたくても助けようもないのかも知れませんが、No77のように、唯物論、無神論、無霊魂論、科学万能主義こそが、正しいというような 間違った見解や風潮に流されて、元々善良な人が、それらの共業(ぐうごう)に、巻き込まれ闇落ちしないようにしていただきたい!と切に思うのと、
No8 のように、善因善果、悪因悪果は、この世で実現する方がよい。のは確かだと思いますが、『地獄に堕ちないための言葉』を読んでいただければ、どういう人が、どういう地獄に赴くことになるのか?ハッキリと書かれているので、
万一、どう考えても悪人が栄えているよう見えて、理不尽なことが多くて、憤りを覚え、この世も荒廃して完全に終わりだな。と、仮に「絶望」を強く感じたとしても、あの世があって、死後のち、閻魔様の裁きが確実に下ると、主、エル・カンターレが保証して下さっているので、ある意味そこは安心です。
ですから、クラっと心を入れ替えて、本当の意味での「反省」をマスターして、信仰心を高めて、倫理感や、道徳心を向上させ、まっとうに、まじめに正直に生きるべきだなと、あらためて思いました。
また、「終活」を考えて人生のあとじまいを行動される人は、その余裕がない人に比べて、確かに知恵もあって素晴らしいことだとは思いますが、それはこの世限りのことなので、死んでからのちの想定が、全くなされていないことが多いので、そこも十分に見直していかれるのがよりよいのかな?とも、思いました。
参考書籍が、HS(幸福の科学)から多数出版されているので、是非、ご一読いただければと思います。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※追 伸
「あいや、待たれよ。」と、地獄和尚が言われたかどうかは分かりませんが、「私は、犯罪人で無いから大丈夫!」と嘯(うそぶ) く人も、
『罪人とは犯罪人だけではない。眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)で仏法真理に反した行為のすべてが裁かれるのである。』(No43、P49)
とあり、さらに、
『仏陀を誹謗中傷した者と、正しい法を迫害した者は、基本的仏性が凍結される。つまり、天上界、極楽に往く資格がなくなるのだ。』( No79、P88 )
と、いう厳しい裁きが、リアルな現実が、当然に、私をもふくめてですが、待ち受けているとしたら?さて、どうなさいますでしょうか?