大阪屋 たてものブログ

「妖怪にならないための言葉」余話 ➁

大川隆法:「因果の理法」というような標準の法則ではなくて、「自分の理屈」でやっているのは、まあ、そうですね。

大川紫央:妖怪のほうは、「自分の理屈」でやっていると。

大川隆法:そう、妖怪のほうは「自分の理屈」だし、結局、レプタリアンにも少し似てはいるのですが、「どちらの妖力が強いか」ということだけの競争をいつもやっていて、それは天狗で表れている。「天狗は相撲を取る」と、よく言いますけれども、「相撲で勝ったほうが上」と言っている。

大川紫央:あとは、その妖術の化かし合いも、結局、競っているのですよね。

大川隆法:そう、そう、そう。強い方が相手を化かして変えてしまう。『出口王仁三郎霊示集』(現在は『大川隆法全集 第46巻』⦅宗教法人幸福の科学刊⦆所収)でも、強いほうが相手を鶏に変えてしまうみたいな話がありましたが、だから、どっちが強いかをいつも競っているようなところがあります。

             (「妖怪にならないための言葉」余話 P100~101)

ちょうど、2月23日(日)にOSで、『妖怪にならないための言葉』『「妖怪にならないための言葉」余話』セミナーを受けて来ましたので、なお、一歩進めたいと思い、こうして記事に残しておきたい(すぐに忘れてしまわないように)と思います。

まず、今回のセミナーでもそうなんですが、セミナーそのものでは無くて、それに不随する「副次的な出来事」で、とても感動したのですが、

「副次的な出来事」というのは、たとえば、先日、「2200系 角ズーム」を撮影した時に、感じた「撮鉄さんのこと」のように、グリコの「おまけ」に、予想外の感動があって喜ぶのと同じで、本体のグリコのキャラメルそのもの以上に感動した。とも、言えることなのですが、

セミナーの講師が、U田専務理事(幸福の科学出版社長)であったのですが、大川隆法総裁先生から、直接、あなたは、あのコロナ流行時に脚光を浴びていた、疫病退散・妖怪の「アマビエ」だと、言われていたらしく、

それをとても気になさっていらした様子でしたが、カミングアウトというのか、すでに、昇華して笑い話風に軽くサラッと話しておられて、「これぞ、HSのセミナーで、他とは全然レベルが違うな!」と思いました。

レベルの低いところほど、悪く言えば、各人が「犯人(妖怪)探しに奔走する」であるとか、お面で「誤魔化し」切ろうとするとか、マントで「隠れ蓑」にして不都合を見え無くするとか、そんなことなんだろうとは想像しますが、それらすべて、主の願われていることとは違って、愚かで非常に残念な感じがする。と、思うのですが、

そこは、さすが、U田専務理事(幸福の科学出版社長)で、「上に立つ者はこれでなくっちゃ!」と、自らのプライドを捨てて、自己犠牲の精神で少しでも多くの方々に「妖怪払拭」の気づきを少しでも得て貰おうという、無私、無我、透明で精神性が高く、滅茶苦茶カッコイイな!と、見習うべき姿勢がそこにありましたよ。

「妖怪」トピックのHS会員の共通認識としてのコンセンサスを徹底し、お互いに「妖怪性の払拭」を、オープンに話し合えるような、カルチャーをHS内に、形成できるのでは無いか!と、これからに、大いに期待を持てたからです。

主のご慈悲を、U田専務理事(幸福の科学出版社長)を通じて、期待以上の神仕組みを、ダイレクトに見せて頂いた感じが強くしまして、「捨てたもんじゃないな!」と感動しました。

さて、本題ですが、HSでよく使われるワードに「縁起の理法」があって、事あるごとに使われていて、なんでそこまで「縁起の理法」というワードを使うのか?ふつうに当たり前のことなのに、何故、それを頻繁に使うのか不思議だったのですが、「縁起の理法」「因果の理法」「原因結果の法則」と言われるものですが、

冒頭のP100~101の一節を読んでみて、

もしかして、妖怪性の高い人に向かって、くどくどと、言われていたことでは無いのか…。と、ふと、思ったんですよ。

「因果の理法」は、この世の「世間解」と密接に関連し、世間解に元づいたルールを順に積み重ねていって、ひとつの仕事を完成させる。と、いうことにあると思いますが、一方、妖怪によると「自分の理屈」でやっている。と、いうことで、

たとえば、光明思想の弱点や問題点に、 妖怪の「自分の理屈」が、 極めて結びつき易いであるとか、エゴイスティックや自己中で、関係者に対するコンセンサスが得られない。で、あるとか、

大川紫央: 妖怪は、他者への見え方は気にするので、一見善い人に見えるんだけれども、心の中では違うことを考えていること(自己中心的なこと等)が多いから、心の中身を重視する宗教修行でまさしくぶつかるところかと思います。(「妖怪にならないための言葉」余話 P149)

あと、化かし合いで「妖術」とか「幻術」とかで、競う。とありますから、もしかして、「因果の理法」そっちのけで、妖怪的プライドをかけて、そちらに没頭・執着するのかも知れません。そんなことを考えたりしました。

そういう意味では、まだまだ、妖怪事情は分からないことだらけで、さらなる研究が必要ですよね…。

今後、実事例が出て来れば、即対応し、すでに本書には、これはと思う箇所には赤線を沢山引いていて、いつでもすぐに見返えし、参照できる状態にあります。なお、もう一歩を進めたい。と、思います。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

※おまけ。  ―光明思想の説明 ―

光明思想は「物事の明るい面を見て行こう」とする考えですが、光明思想で自己実現をなしても、必ずしも天国的な人生でない場合があります。

光明思想には、ともすれば他の人の気持ちが分からない人間、あるいは自分の間違いや失敗に気づかなかったり、それを無視したりする人間が出て来る傾向があります。光明思想を実践している人に失敗が起きるとすれば、ほとんどの場合、そうしたかたちで起きてきます。

光明思想で成功している人のなかには、他の人の気持ちが分からない人、自分には間違いや反省点が全然ないと思っている人がいるのです。それは人格的に不十分なところなので、そこを埋め合わせなければなりません。

光明思想は、ある意味では、誰もが喜ぶ砂糖菓子のような「甘味」「甘み」を追求しているものだと言えます。(経営入門 column P220~221)

以上の「光明思想」の弱点、問題点に対し、では実際にどのように「光明思想」を使うのか?に応えたものが、経典「自も他も生かす人生」の第3章光明思想と泥中の花P161~249で、その詳細が語られていますので、そちらを要ご参照いただけるとよく解ると思います。

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