大阪屋 たてものブログ

「メタトロンの悲しみ」を聴いて

☆「メタトロンの悲しみ」を聴いて、その感想と考えたことを、少し書き残しておきたいと思います。過日の「HSの4大メシアの楽曲」から、メタトロンの悲しみを、特にピックアップしての記事となります。

歌詞を読みながら楽曲を聴くと、まず、全く知らなかったメタトロンの存在を知ることができる。その名を知ることが出来て本当に良かった。と、心から思う。

分からなかった、どうしても分からなかった。イエス様が十字架に架けられたのではなく、意図してわざわざ架かりに行ったことや、アガシャー大王の時には、生き埋めにされることが、当然に分かっていて、敵から逃げることも十分に可能であったにもかかわらず、わざわざ そのような選択をあえてなさらなかったことが…。神の自己犠牲を演じることが「愛」だからだったんだ。

何故、裸足でつっかけ履き膝づめに、旧知の友人のように優しく平等に接して下さるのか?ジョンレノンさんもまた全く同じ接し方で、本当は近づけないほど眩しくて圧倒的な光の差があるにもかかわらず、「それが愛なんだよ。」と、HSの楽曲を、少しでも多く聴ける機会を、与えて下さったりしていると思うんですよ。何か、夢幻しのひと時の幻想を抱いて見ているようではありますが、それがとてもリアルなんですよね…。

この地上では、何度も検索をかけて「自己犠牲」を調べても、よい意味で使われず「自己犠牲」は心理学的にも悪い意味で、その解釈・解説がなされている。違いは、「神の自己犠牲」であることだ。残念ながら「神の自己犠牲」という言葉を、いくら検索にかけてもその答えは出て来ないのだ。この世の検索機能では、当たり前のことであるけれども、悲しいほどに出て来ないのだ。

「神の自己犠牲」この言葉を深く理解するために、「私にでも理解できる、何か手だてがないでしょうか?」と、祈りに似た願いを発しながら、メタトロンの悲しみを何度も聴くと、ふと、あるYoutubeのTVドラマ作品に、インスピレーションと共に導かれた感じがして、二晩ほど連続で、没入集中状態で、早送りの重要部分の飛ばし見であるものの作品のすべてを視聴しました。

それは「白い巨塔」2003年版です。もう20年以上も前の古いTVドラマで、全21話あります。そのTV放送時に、ご覧になられた方も多いと思います。

その「神の自己犠牲」に近いものは、その中の江口洋介さん演じる内科医の「里見侑二」の内面の心の動きを見よ。また、それに影響されて協力者となる者も含めて見よ。また、神の自己犠牲の前には、弱者(末期癌患者)への「心に寄り添う」行動(緩和ケア)がある。ということで、

唐沢寿明さん演じる外科医の財前五郎との対比で見るところを含め、どちらが 「神の自己犠牲」に近いかは、明確になりましたし、そもそも、そのような観点で、この作品を観たことが無かったです。

単純に、里見修二が善で、財前五郎が悪と決めつけるには、さすがに無理があり過ぎて、人の心の内にはその考えや感情の振り幅が、この二人の相違を通して、確かに存在していると解釈できるのでは無いかと、まず、そう考えます。

とりあえず、Youtubeで白い巨塔を観ましたが、常に、すぐに消されるので、場合によれば、DVDでも購入して細かい細部のシーンまでもゆっくりよく見たいな。と、思うようになりましたよ。

そこは、俳優さんの個々の演技も含めて、山崎豊子さんの原作、脚本や演出に至るまで、しっかりと出来ているので、実によく内面の感情をも、正確に描き出されているものと思います。

こうなると、「神の自己犠牲」に近いこととは何か?具体的にどうすることがそうなるのか?その内面はどうなのか? ありがたいことに、イメージを膨らませて、自らも具体的に「仏法真理」に照らし合わせて、考えを深めることが出来る可能性が出て来ました。

機会があれば、白い巨塔のドラマ上の配役についても、「神の自己犠牲」に近い人は誰か?書き残しておきたいと思います。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

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