☆今日の休日は、Google マップ上で『IKEA鶴浜』から、なみはや大橋を渡り港区の天保山に行けそうなことが分かり、自転車ポタリングで行ってみました。現場では実際に歩道があり、これが急勾配で自転車を押して登りました。冒頭の写真と2枚目、3枚目の写真が、なみはや大橋からの写真です。昼食時の休憩場所の選定は、いつもどおり、少しでも見晴らしの良い開放感のあるところで、人の往来が少ない、今回は少々マイナーな『赤レンガ倉庫横広場』です。私事でありますが、この10月から義父が「車椅子生活」になり、直接、私が何かお手伝いできる訳でもありませんが、義母には気持ちを切り替えていただき、まずは、義父の下の世話等の介助、介護生活に少しでも早く慣れて、いただけるようにと思っています。
「車椅子生活」が長期に渡ることを想定しますと、無理の無い日常生活の段取りを組み、介護施設やその道のプロの手を借りることに、変に罪悪感等を感じることなく乗り越えていただけるようにと、「陰中の陽」の考え方が効果的に使え、自然と働くようになり、別次元のパラダイム(パラレルワールド)が拓かれるように心より願っています。
具体的には「細分化の原理」(ルーティンの優先順位)や「凡事徹底」(基本動作)で、「車椅子生活」の日常生活習慣を組み立てることになると思いますが、それまでは試行錯誤も多々あり、苦しいことも多々あるかと思いますが、上手に乗り切っていただきたいと思います。上記のような出来事も、『ポジティブな意味を与える』ことが出来て、さらに『投影の法則』を使えて、間接的にプラスの影響を与えることがもし可能ならばどうでしょうか。そのためには「穢れ落とし」の習慣が前提に必要だと考えます。
日頃は、木津川で渡船しながら軽い「穢れ落とし」をすることが多いですが、賀茂一族様方のご指導(玉依姫の霊言P25参照)であれば水系(川、海)に流すのは「基本中の基本」と考えて、これが実に効果的で自転車ポタリングを続けている理由でもあります。
今日は、尻無川最下流の天保山運河で深い「穢れ落とし」(反省)になりましたが、「穢れ落とし」は本当に大事だとつくづく思います。なぜ「穢れ落とし」という言葉を使うかといいますと、「反省」という言葉を使うと、自分をいじめたり「間違った解釈」をする人が圧倒的に多いからです。
物理的な比喩で「穢れ落とし」を簡単にご説明いたしますと、子供の頃に親に躾けられた外出から帰って来ての「手洗い・うがい」の習慣と同じで、何らかのマイナスな出来事やちょっとした事件等で出て来た、心の内の好ましくない感情、モヤモヤなど、悪しき執着を払い清めて刷新する、清浄する行為を「穢れ落とし」と呼び、それを自ら主体的に良き習慣にしようとしています。「思い」(陰)と「行い」(陽)では、「行い」で、いくら良い事をしたとしても、目には見えない「思い」(陰)のコントロールのところ(感情、波動)が、なおざり(適当)になっていれば、どうしても隙が多くなり、長期的には本末転倒なところが結果として出て来るのかも知れません。
その点は、「結界論」の3.心の隙をつくるな、あなたの執着するものが隙をつくるのだ。の通りに、日々陰陽師の神々からは、心の隙について恐ろしく厳しくご指導して下さっているのだと思います。
「穢れ落とし」→目的を持った「瞑想」→「感謝」へと誘うと、たとえば「名古屋正心館」と「生誕館の落慶」は、霊的に多々意味合いは奥深くあると思いますが、降魔的に陰陽師の神々的にいうと恐らく『南海トラフ』地震をいかにミニマムさせるのか、その対策としての「結界」の布陣でもあり、主、エル・カンターレの大慈悲に他ならないのではないかと、日々強く実感させていただいています。本当に有り難い限りです。メカニズム的にいうと穢れを十分に落としニュートラルになり、その次に積極的な方向に、発展繁栄の方向に、自然と「思考」がシフトしていくものと思いますね!
『隠された力』の秘密を信じることが大事と思います。
今回もご覧いただき、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。