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この世界は巨大なスクリーン

R0001562-2-3☆前回の記事では、『鏡の中に映った自分を変えるには・・・』ということで、バシャール的「解釈」「表現」で、ヘルメスの7つの宇宙の法則の【投影の法則】について私自身が「再度」学び直してみるいい機会を賜ることができました。

この【投影の法則】は別名で『鏡の法則』(人間関係の法則)と呼ばれていて、

「立ち向かう人の心は鏡なり」 己が姿を写してや見む

という57577調の「聖句」が特に有名ですね。

おかげ様で【投影の法則】について学ぶ勢いに拍車がかかり、今回も続編として『この世界は巨大なスクリーン』という題で、さらに「投影」体験を深く感じとれるようになりたいと思います。

前回と同じく、ご関心のある方のみでOKですので、何らかのよい刺激やご参考になれば幸いです。IMG_0115-2-2                                                              (図表の出典 願望物質化の『超』法則 P67)

この世界は巨大なスクリーン

この世界は、あなたの心を映し出している巨大なスクリーンです。
この世界に愛が見えるならば、それはあなたの中にある愛が映し出されたものです。この世界に争いが見えるならば、それはあなたの中にある争いが映し出されたものです。

あなたの心にないものは、この世界の内に見いだすことができません。
あなたがこの世界の内に見ているものは、あなたの心の内にあるものなのです。
それはまるで映画のようなものです。

映画がスクリーンに映し出されるように、あなたの心がこの世界に映し出されるように、あなたの心がこの世界に映し出されるのです。スクリーンに投影されるように、あなたの心がこの世界に映し出されるのです。

スクリーンに投影された映像を変えたいならば、映写機に入ったフィルム側を変える必要があります。スクリーンに投影された映像側と格闘しても、フィルム側が変わらなければ無駄なことです。

この世界も同じです。私たちはついつい、世界の側を変えようとしてしまいます。
ですが、世界の側は映し出された映像に過ぎません。本当に変える必要があるのはあなたの心の側なのです。あなたの心の側が変化すれば、この世界に対する知覚は自然と変化します。

そして、この世界は違ったものになります。

あなたはいずれ、どのようなことも実現が可能であることを悟るでしょう。
なぜなら、あなたの望みもまた、この世界に投影されるのですから。

                  (ザ・メタシークレット実践編 P58~59)

※この世界:は、今、この仮の世の現実、物質界の三次元の世界。 スクリーン:は鏡。また、図表「望みのものを引き寄せる手順」のスライド、フィルム側、自分の『心の絵』(バシャールの言う観念)を変える。セルフ(自己)イメージを変えるということ。に、相当するだろうと思います。

再度、バシャールの「現実は意識の投影~すべては内面で起こっている」を見てみますね。

あなたの望む物質的な現実を選択し体験していくためのチャンスを増やしていくために、あなた本来のバイブレーションに調和した現実を体験していくためには、まず、物質的な現象を投影として観始め、投影として体験し始めてください。

 

バシャールのいう物質的な現象を投影として観始め、投影として体験してください。とは、どういう事でしょうか?

自分の『心の絵』(バシャールの言う観念)を変える。セルフ(自己)イメージを変えるために、まず自分の姿を「投影」として客観的に「観察」するということなのでしょうか?

それは恐らく『自己観照』というキーワードでいわれているものだと思います。今回は松下幸之助先生の「解釈」「表現」で別の違う角度から学んでみたいと思います。

自分で自分を、あたかも他人に接するような態度で外から冷静に観察してみる、ということです。いいかえると、自分の心をいったん自分の外にへ出して、その出した心で自分自身を眺めてみるのです。」
                (「人生心得帖」松下幸之助 PHP研究所 1984年)

自省の強い人は、自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを”自己観照”と呼んでいるけれども、自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

こういう人には、あやまちが非常に少ない。自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。
                (「一日一話」松下幸之助 PHP出版)

素直な心を養うための実践10ヵ条

第2条 自己観照
素直な心を養うためには、たえず自己観照を心がけ、自分自身を客観的に観察し、正すべきを正してゆくことが大切である

“我執”ということばがありますが、お互い人間は、意識しないまでも、つい自分自身にとらわれるというか、自分で自分がしていることを正しく評価できないことが多いのではないでしょうか。

もちろん、人はよく「自分のことは自分が一番知っている」といいます。たしかに自分の思いは、他人にはうかがいしれない場合が多いのですから、他人よりも自分のほうがよく知っているはずです。しかし、自分の考えや行ないが果たして独善でなく、道理にかなっているのかどうか、社会的に正しいことかどうか、人情の機微に適したものかどうかを評価する段になると、これはまた別だと思うのです。

むしろその点については、他人のほうがよく知っている場合が少なくないでしょう。それはやはり、人間というものは、どうしても知らず知らずのうちに自分中心に、あるいは自己本位にものごとを考えがちになって、他人からみたらずいぶんおかしいことでも、一生懸命に考え、それを正しいと信じている場合が多いからではないでしょうか。

もしそのように、自分自身にとらわれた自己本位の考え方を押し通そうとしたら、やはり物事が円滑に運ばないでしょう。他人が傷つくか、あるいは自分が傷つくかするでしょうし、ましてその考えが社会正義なり共同の幸せに反することならば、やがては自分の身を滅ぼしてしまうことにもなりかねません。しかもその人が、社会の指導的な地位に立っていたならば、単に自分を滅ぼすだけでなく、指導される人びと全体を誤らせてしまうことにもなってきます。

かつてのヒットラーやムッソリー二、あるいは日本の軍部指導者のなかにも、こうした傾向が一部あったことは否定できないと思うのです。つまりそういう人たちは、自分の考えを絶対に正しいと信じこんで、知らず知らずのうちに自己本位の勝手な考えなり行動に陥っていることに気づかなかった。それが自分だけでなく周囲の多くの人びと、あるいは国全体を迷わせ、そこに多大の損失と不幸を招くことになってしまったのだといえましょう。

こうした経験は、お互いに多少とももっているのではないかと思いますが、それではどうすれば自分自身にとらわれない素直な心になれるのかといえば、その一つとして「自己観照」を心がけたらどうかと思います。これは、いわば自分の心をいったん外に出して、その出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察することを心がけたらどうかということです。

昔から“山に入る者は山を見ず”とか言いますが、山の本当の姿は、あまり山の中に入りすぎるとわからなくなってしまいます。山の中にはいろいろな草木もあれば、石ころもある。それらも山の一部ですが、しかしそれだけが山の姿ではありません。山の全貌を正しく知るには、やはりいったん山から離れて、外から山を見るということもしなければならないと思うのです。

こうしてみると、なかなか奥深いですよねぇ~。

カルマ的にいうと、この世界(三次元)で自分の人生の中に経験、体験として流れ込んでくる、形変え、姿を変え、繰り返し起きる「問題」(トラウマなども含めて)となる出来事を、そのつど「対処療法」でとりあえずその場を凌いだ(それはそれで大事なことだが)としても、深層心理の無意識で働く根っこの部分を、その観念、そのプログラムを変えない限り変わらない。マインドセットを変えない限り根本的には変わらない。ということなのだろうと思います。

繁栄の神、松下幸之助先生の言われる「自己観照」を心がけて、深層心理に棲むネガティブな根っこの部分、その観念、そのプログラムの働きに気づき、自覚し、悪しき思いグセを「明確」にして変えていくこと。毒麦を刈り取り、アンチのよい種を出来るだけ多くまくこと、逆打ちを積極的にし続けていくこと。

それなりの難しさを伴うかも知れませんが、それでも少しづつでもよくなる方向に、力強く変えていきたいと強く思います。

何らかのご参考になるところが少しでもあれば幸いです。

今回もご覧いただきましてありがとうございます。心より感謝いたします。

 

つづく。

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