☆12月27日で今年の仕事納めになっていて、本日、28日から来年1月5日まで休みで、冬期休暇となっていまして、同1月6日から仕事始めということで、弊社も他社と同じように対応しています。
休みに入ったということで、朝から読み切っていなかった「真理学要論」にすべて赤線を入れ、続いて「なお、一歩を進める」をパラパラと馴染むように、直感スキャンするように、特に、目についたところの話を少し述べてみたい。と、思います。
まぁ、そのような時間がとれる状況にあることだけでも、実は、本当にありがたいことなのだと思います。心より感謝いたします。
一番最初に目についた所は、運・鈍・根の「運」の事例で、松下幸之助翁の事例と歌手の太田裕美さんの事例を挙げられていて、太田裕美さんへのインテリ東大生の性(さが)による、野次に対して
他人を責めないで、感謝する気持ちがあって、『自分の努力なんかはそんなのはあたり前のことで、大したことはない』というぐらい抑えられるところがある。これはやはり強く感じました(なお、一歩を進める P135 5行目より)
という下りです。
この事例を自分に当てはめて考えると、どれが一番近い出来事なのだろう?実際に、野次られたり文句を言われたら、太田裕美さんのように、やれるかどうかも危ういよな?と、思いました。
運というのは、大きく言えば『神様・仏様の力もあれば、周りの人たちの引き立もあった』という意味ですから、そういう風に思っている人のほうがやはりファンは増えるし、周りからも敵は少なくなってくるということは知っておいたほうがいいと思います。(なお、一歩を進める P136 7行目より)
今まで「運」と一言で片づけていましが、こうした分析的に深い意味合いを含んでいたのかと再認識し、仏神から、これぞ「プロやな!」と思って貰えるような、仕事(正業)が少しでも出来るようになりたいな。と、思いました。
次に、運・鈍・根の「鈍」のところで、
銀行も役所と一緒で減点主義で、失敗すると減点がついていくタイプなのだろうとは思うのだけれども、「うわぁ、すごい速いな。この『できない理由』を挙げる速さで、もし、『できる理由』を考えてくれたら、もっともっと行くのにな」と思いました。
このできる理由――「どうしたらできる」というのを考えるのは、私のほうが考えなくてはいけなくて、「できない」ということを言うのは、そちらの部下のほうが「できない理由」を一生懸命に言ってくるのです。だいたいそうかも知れません。怒られたくないからです。
-中略- けれども、そんなことをしても駄目であり、そんなことに敏感で頭の回転が速い人も、やはり駄目です。(なお、一歩を進める P141の7行目~P142のおわりまで)
例の任意売却案件で、金融機関の債権者さんの三社とやりとりすることになって、三社というのはそれは法人であって、厳密にいうとその担当者さんとのやりとりになるのですが、何故かなかなか話が噛み合わないのは、まさにこの通りで、
任意売却期間中に上手く売却できる事例が少ない上に、その担当者の昇進や昇給に大きく影響するので、「失敗したくない。」と、いう心の働きが強く、金融機関の世界でも、強い生き残りをかけたサバイバル事情が色々とあるのでしょう。間違っても、債務者に恨みを買うような発言だけはしたくない。と、いうことでしょうね。
また、債権者が債務者の借金に対して、十分にその危うさを知っているにも拘わらず、債務者自身の世間解が無い、無知であることを、試しながら遊んでいる風にも見えていますが…。ハッキリ言って、債務者が完全に舐められている状態です。
真説・八正道の正見、正思な正しい見解を求めてみると、不動産業者側からすると、このまま時間切れで「競売」になれば、今以上に、借金が増えるのは間違いなく、何かとお客様(売主様)が大変になるのが見えていて、「競売」を否定し、 何としても「任意売却」を成功させることを真剣に考えますが、
残念ながら、債権者の担当者さん、大変頭は良いんですよ、任意売却で売れない方に敏感に頭の回転が速いのですが、自らがリスクを取ってでも売主様(債務者)を助けるなどと言った考えが、これっぽっちも無く、債務者に対し、そつのない耳当たりの良い、実に、優しい口調や言葉ではあるのですが、
これがどうも偽善っぽく狸狐のようで、何ら職業倫理観も皆無で良心が働かず、むしろ売主様(債務者)を餓死に導く遅滞や、妥協スルーの産物のような、時間稼ぎ行動になる結論に平気で至るのだろう。と、理解した次第です。これが厳しい現実なんですね…。
ですから常に「どうしたらできる」ということを、やはり考え続けないと駄目なんだ!ということが、よくよく分かった、この一節によって深く腑に落とした次第です。「鈍」—―繊細・敏感になりすぎず、清濁併せ呑む胆力が要るということでした。
そして、次の「根」ですが、
「根」——情熱を持ち、根気よく粘って努力し続ける 才能に酔うのではなく「かいた汗で戦う」という姿勢を持て( なお、一歩を進める P152~ )
とありますが、私的に、あまりにもタイムリーな励ましの言葉を賜った感じがして、元々、優れた特種な才能を持っていないことを重々自覚していますので、特に「かいた汗で戦う」という姿勢を持てには感激して、
直面する任意売却案件に、立ち向かう勇気となって心に響いて来ており、仏神の慈悲を感じざるを得ないですね!本当に有難いことだと思います。
運・鈍・根 のまとめ
①「運」—―成功を自分の実力と思わず、「神仏や周りの引き立て」と思う
➁「鈍」—―繊細・敏感になりすぎず、清濁併せ呑む胆力が要る
③「根」—― 情熱を持ち、根気よく粘って努力し続ける
こうして、その時々の自らが直面する困難な問題や課題に、向き合い・対峙し、今回なら「運・鈍・根」の教えを照らし合わせて考えてみて、はじめてその「法」の威力を垣間見ることができる。と、思います。
そしてその次には、困難な問題や課題を乗り切って解決して見せた時に、取りあえず「腑に落とした!」と、実感を得ることができる。と、思います。
長期に渡る案件等は、じっくりゆっくりと腰を据えて取り組む必要に迫られると思いますので、特に「鈍」「根」が、求められるのだと、思います。
この運・鈍・根・の教え、徳目を、魂に刻んで、心の糧として持って還れるようになりたいものだ!と、強く思いました。もちろん、塗り壁式でくり返し、くり返し、学んで行きたいとも感じています。
実は、もうひとつ「仕事」(正業)に関する記事を書き残しておきたい。と、思っているのですが、どうでしょうか?「メタトロンの悲しみ」を聴いての時の「神の自己犠牲」に関して思うことを、年内に、どうしても書いておきたいですね…。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。