☆まず最初に、大袈裟なタイトルですみません。令和4年11月28日月曜日晴天にBBQ会場に行って、久しぶりに「ミニ焚き火」をしてきましたよ。
まぁ、キャンプ道具の方は、少しづつ自然と増えていったソロ用のモノが、一通りはあるのでそれが使えるのでね。振り返ると「ミニ焚き火の火入れ式」なども懐かしいですが、質の良いモノは厳選して少数は欲しいですが、常に最新のモノに拘りがあって、それを追求して使っていないと、居られないのでは無いですからね。
時間の方は、確か、自宅を出たのが11:20頃だったです。
BBQ会場に行くまでの時間は約1時間、管理棟で自転車を借りて、園内のローソンに寄って昼食(今回は一切の調理なし)を購入し、いつものBBQ会場(お決まりの場所)に移動し、ミニ焚き火のセッテイング完了まで約30分です。
許可された場所で安心して焚き火を楽しめるので、多少なりとも事前準備等の労力を惜しんでは、都会ではBBQや焚き火は原則できませんからね。
逆に言うと、そこまでして「ミニ焚き火」をしたいのか?を、自らに問うことになりますが、今回は、まさにその意味合いを込めて「ミニ焚き火」をし、体感してみようという試みです。
そのタイトルを「シン ミニ焚火 序章」としましたよ。世間の流行の言葉の新=「シン」にしただけですよ。
シートとテーブルは見事に忘れて来ましたが、このBBQ会場では絶対必要とまでいうほどにないので、そのまま続行です。燃やすための木材は、持参して来ています。(おまけのところを参照)現場で、セッティング次第、即、ミニ焚き火を始められますからね。
枯れ枝等は全然落ちていない状態で整備されており、落ち葉や松ぼっくりぐらいしか拾えない、しかも、ごく少しだけなので、熱源の木材(焚き付けや薪)は要必要です。
「焚き火」でも「ミニ焚き火」でも、その効果は同じなので、私的には「ミニ焚き火」でも十分な火力です。むしろ、あと片付けが楽なので「 ミニ焚き火 」の方がメリットが多いです。また、火力だけでなく、煙の匂いの燻し効果も含まれているかも知れません。
結論からいうと「瞑想」の導入効果が高いと思うので、「反省」→「瞑想」→「祈り」が、し易くなるのではないかと感じています。
ボーッと炎を見つめているだけでも、自然とリラックスして緊張感がとれ、遠赤外効果というか身体も暖められて、非日常的な「ほっこりする」感じがします。
たとえば、観光ホテルや旅館の露天風呂や、近場のスーパー銭湯で入浴後の食事とかと、似たような感じで、ソロのディキャンプの「ミニ焚き火」で食事もして、ゆっくりまったりと過ごす時を、たまに味わうのは、よいのではないかと思います。youtubeのソロキャンプ動画で、よく見かけることのできる、あのまったり感のような感じです。
また、独りの時は誰にも一切気を遣わずに、自分の好きなことに集中できるので、「ミニ焚き火」は、自らを省みるひとつの機会で、内省的になり易いと思います。別な表現をすると「心の柔軟体操」で柔らかくするような機会ですね。
さらに、昼食(自分の好きな)を挟むことによって、満腹になり満たされると、たとえば、何か理不尽な目にあったり、どんなに嫌な出来事を振り返っても、冷静に「反省」しようと意識しなくても、かなり怒り(感情的にブレ)にくく、他人事のように、大らかにその事象をとらえることが、出来やすくなるからです。
もちろん、支部やOSなど正心館のエル・カンターレ像の御前でということなのですが、その前段階で、そうした「習慣」を少しでも身につけるために「ミニ焚き火」を、活用できるのではないかと思っています。「習慣」は、場数の連続体で、その結果が具象したものだと思います。
そうした目的性を持った「瞑想」ではなくても、「無念無想」だけでも、雑念が落ちて、心の内の「静寂」な世界を楽しむことが可能ですよね。
好きな経典の「沈黙の仏陀」P127~158 第4章 五停心観(ごじょうしんかん)を、テキストとして使用させていただいています。
何かの節目や区切りに、お焚き上げ風に、(反省した後)何らかの「執着」を紙に書いたものや、それを象徴とする写真等を燃やして、穢れを落とし「浄化」するのもよいかな?とも思います。どちらかというとミニ焚き火の内容の質を上げていく方向に、向かっていますかね。
「願い事」を書いて、7のつく日の7時7分に、それをお焚き上げして、呪い返し師塩子を呼ぶっていうのは、それはさすがに、映画の中だけの話だと思いますが・・・。(笑)
今回のミニ焚き火の燃焼時間は、13:00〜14:00の正味、約1時間で昼食も入れて十分に楽しめました。これで炊飯や副食を調理したりすると、プラス1時間半くらい(片付けも入れて)はかかると思います。
確か15:40頃には帰宅しました。 逆算してみて、出発時間を早めるか、帰宅時間を遅らせるか、そのどちらかにするか、両方ともの併用をするのか、その時に応じて調整すれば良いかなと思います。
とにかく「ミニ焚き火」をサバイバル時代に適応した、「反省」→「瞑想」→「祈り」にダイレクトに繋がるように、上手に使いこなしたい!と思います。
ご存じのように、そもそも宗教の世界は「相対価値」ではなく「絶対価値」の世界なので、他者との比較でどうのこうの優劣を競うものではないし、私と仏(創造主)の世界観を教える世界なので、
HSがその最先端をしかも体系的に、時間の経過とともに主が自ら三次元の地上で、教団や出版事業や映画事業まで創造し、教えて下さっているので、できるかぎりその「慈悲」を時間の経過とともに、許されるものなら、すべての方便を取り去ったところで、説かれる教え(法)を、認識させていただきたいものだと思います。
たとえば、天狗や偽我の振幅(どこからどこまでが可能か?アウトか?)で、そこに信仰を付けての振幅も、是とする範疇を、凡夫でも知り得る具体的かつ明確な判断基準があれば、知りたいところですよね。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。