☆WIN WIN(ウインウイン)の考えについて、もう少し具体的に、ご説明さしあげておきたいと思います。
その前提に(端折らず、前提から説明する必要があります。)
■依存から自立へ、そして自立から相互依存へと成長していく。(P54~59あたり)
『人は皆、最初は依存しきった赤ん坊として人生を始める。誰かほかの人によって方向づけられ、育成され、養われる。もし、誰かの保護がなければ数時間、あるいは数日しか、生きることはできない。
しかし、年月が経つにつれて人は徐々に肉体的に、経済的に、知的に、そして精神的に自立していくことになる。基本的に自分のことは自分でやり、自己決定のできる、独立した人間に成長していくのだ。
さらに、成長を続けると、自然界のすべての要素は相互依存関係にあるということを意識するようになる。
つまり、自然界や私たちの社会のすべては、生態系システムで成り立っていることに目覚めるのある。
そして、本質のもっとも、崇高な部分は周りの人との関係にかかわるものであり、人間の生活そのものも相互に依存しあっているということが分かるようになる。』
この成長のプロセスを理解するために、それぞれの成長レベルにいる人の持つパラダイム(思考の枠組み)を見てみることにしよう。
自立は、「私」というパラダイムである。「私」はできる。「私」の責任だ。「私」が結果を出す。「私」は選択できるというこである。
そして、相互依存は、「私たち」というパラダイムである。「私たち」はできる。「私たち」は協力する。「私たち」が才能と能力を合わせれば、もっと素晴らしい結果をだすことができる、ということである。
依存している人は、欲しい結果を得るために他人に頼らなければいけない。
自立している人は、自分の努力によって欲しい結果を得ることができる。
そして、相互依存している人々は、自分の努力と他人の努力を引き合わせて最大の成果を出すのである。
ということで、第4の習慣のあたるこのWIN WIN(ウインウイン)の考えや思想の実践が難しいのは、相互依存のパラダイム(P265~)にあたり、
「私的成功」から「公的成功」へとさらに高度にパラダイムシフトしていかないと、本当の意味において、精神的にみえてこない概念だということですね。
仏教的にいうと、おそらく「利自即利他」の概念、利他行と呼ばれる菩薩の境地に挑戦していくことをいうのかも知れませんねっ。
その人の持つ「徳」とか「器」とかも、大きく影響するのだと思います。
そして、ここでも楽しくタネあかし…、いたしますが、(^o^)
過去記事「思考レベルの4段階」で、ご説明いたしましたように、レベル3.共感的(センパセティック)、私、とむすけのいう、「お客様の立場に立って」という思考段階。というのは、ほぼ、同じ思想、同じ内容と考えて間違いありません。
いかに、WIN WIN (ウインウイン)の考えが、大事かお伝えできれば幸いです。
※時間がとれれば、詳しい事例もご説明したいですが、どこまでできるか分かりませんが…。できるだけ、頑張るつもりです。
また、情報(化)社会では、ブログ等で、頓悟禅的にそのつど思いつきを発して、人に「ハッ」と気づかせるものが全然ないといえなくもないですが、よほどその内容を吟味しないと、人を煙に巻くような発言は、長期的にみて自分の信用を失い、価値を下げている場合もあります。
そこが情報(化)社会の怖いところで、「嘘」や「ごまかし」のきかないところでもあるんですね。「嘘」や「ごまかし」とまでいかなくとも、誤解の少なくなるように、リスクを押さえるように、できるだけ詳しい説明が必要となってくる、求められるんですね…。
お遊びは別ですが、自分に甘いといけませんね…。気をつけないと。(^o^)