大阪屋 たてものブログ

受け入れるだけの器

R0000673-2-2☆もともと自分の中では「宗教精神」というものは、やはり「仏教」や「日本神道」を指すものだという考えが根本にあって、そちらに強い『親和性』を感じているので、その考えや思想がベースになっているのですが、たとえばキリスト教で学んで来られた方々の考えや思想形態がよく理解できなかったり、さらに、イスラム教、ユダヤ教的な考えならもっと理解不能なところもあるだろうと思います。

仏説、『正心法語』の経文に「他人に対して理解をし自分に対しては反省せよ。」という仏言があるように、まずは相手の思想や考えを理解しよう。と、思うところからスタートすると思うのですが、7つの習慣でいう第五の習慣「理解してから理解される」で、理解することがWinWinの扉を開くといわれていて、それが少しづつでも実践できればと思います。

たとえば「結界」という言葉は「仏教」や「日本神道」にウィキにでさえ普通にありますが、キリスト教には「転生輪廻」の思想と同じく「結界」もないと思われます。

キリスト教で修行した牧師や神父のような方が霊体質になった場合、キリスト教以外の霊存在が何か違った教えを降ろそうとしても、「そんなものはありえるはずがない」と、本人が拒絶してしまうのです。

-中略-やはり、生きている本人が受け入れられるかどうかによって、その教えの降ろし方に多少の差はあるわけです。-中略-(智慧の法P189)

※中略は生前のエドガー・ケイシー指導霊の事例で、結びに、それらを「受け入れるだけの器」を広げることの大切さが説かれています。

 

日本は、明治期において、洋風文化をよいものとして取り入れましたが、キリスト教は浸透しませんでした。しかも、その後、戦争で負けて占領されたにもかかわ らず、完全に浸透することができないでいるわけです。

これは「キリスト教のなかにも正しいものはあるけれども、日本には、すでに、それを十分に代替するも のがあった」ということだと思います。

そして、「それに代替するものとは、いったい何であったか」が、明確には分かっていないところもあったのですが、それについて、今、幸福の科学が明らかにしているのだと、私は考えているのです。(正義の法P278

 

さらに、

仏教や日本神道は「神々」を認め、「至高神」の考え方に近い(正義の法P307)

と、ありますよね。

こうして、主、エル・カンターレが明らかにしてくださっているおかげで、いろんな事を知ることができ、逆に「キリスト教」の思想を学ぶいい機会になってよかったと思いますし、キリスト教で学んで来られた方の「思考パターン」も少しは理解できるようになりました。

 

たとえば、陰陽師の神々の「結界論」を正確に学び、安倍晴明公をはじめ賀茂光栄様、賀茂一族さま方より霊指導を受けてキッチリ「結界」を張ったなら、自我力(そんなものはありえるはずがないと拒絶して暴れてみたり)等により「己心の魔」で心のコントロールが不能にり、自ら破り自滅し混乱しないかぎり、普通は少々のことでは、まず外部から破られることはないと思います。

もちろん、ときおり半年や1年の「結界」の強化も怠りませんが・・・。

「現代の陰陽道」は、確かに厳しいと思いますが、それに耐える器を「受け入れるだけの器」を指導し養成し鍛えてくださっているので、本当にありがたい限りです。

「ミッキー行」も、また、そうですですが・・・。

 

明日、OSで受ける「生霊返し・病念撃退祈願」も、大いに楽しみにしています。

また、祈願の効果が分かるように、いつもご指導の「痕跡」を残して貰うようにお願いしています。

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