大阪屋 たてものブログ

続 脚下照顧

☆さらに、続きますが…。(ページでいうと、前に戻りますが)

この「脚下照顧」というのは、「脚の下を照らすことを願え。照らすことを常に忘れるな顧(かえり)みよ」ということです。

限りなくサーチライトのように照らす。灯台の灯のように闇夜を照らす。霧が出ている夜、船が間違って座礁したり、転覆したり、ぶつかったりしないように、遠くを灯台の灯が照らす。そういうことは非常に大事ですし、大願としてはそうでなければいけないと思います。

世界を照らさなければいけないし、そんな仕事を私もしていますし、現に言論としては発信しています。だから、そういう気持ちは頭の中に持っていなければいけないことは、もちろんそうです。

しかし、気をつけないと遠くの船に道を示しているつもりでいたところが、自分自身は正しい道を歩んでいないということもありえるわけですね。自分自身のことは疎かにしてしまっているということはあると思うのです。ここは要注意です。(人として本物になるには 第2章 脚下照顧 P76)

ということが、「脚下照顧」の説明です。なるほど、よく分かりますね。

足元を照らす。と、いう意味では、子供の頃から「懐中電灯」で物理的に暗闇を照らすのが好きな私は、「懐中電灯」の記事を当フォトログでも書いたりしていますが、

それが今では、タイムマシーン発想の「アンチエイジング」(懐中電灯を使った時のワクワク)+「脚下照顧」で、暗闇でもしっかりと足元を照らすであるとか、とても具体的にイメージがし易く、それを活用できる状態に進んで来ていると思います。

また、「一隅を照らせ」という楽曲も好きな楽曲ですが、その前に「脚下照顧」で居るという発想です。

さらに、そこから正しい道を歩んでいるかどうかも、「真説・八正道」に照らしてチェックしてみれば良いので、気づきの砂金が、ひとつ増えふたつ増え、みっつ増え、少しづつ塊が出来る方向に進んで来ている感じです。

地味ではあるものの、静かなよろこびが確かにあるのです。こういうところに「仏教精神」が宿るのでは無いか、小さな悟りのよすが存在するのでは無いかと、感じているところです。

「試しの時代」にこそ「諸行無常」な事象を横目に、今後は、特に「自灯明、法灯明」で脚下から照らしてゆけ!ということなのかも知れません。

写真は、前回同様、助六さんの撮影後に山王&太子の街を少し撮ったもので挿絵扱いで使いました。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

「脚下照顧」「続脚下照顧」

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