☆当社不動産鑑定士津田修身顧問と富山に出張いたしました(平成21年12月16~17日)、時の1日目、大阪駅から、サンダーバードに乗ってJRで富山駅到着30分くらい休憩のあと、「岩瀬」に向かいました。
今回も、富山の不動産査定の調査に訪れましたが、津田修身顧問は調査地に入りクライアント打ち合わせや調査物件の聞き取り調査を行う前に、その街の一番の商業地点といわれるところに行き、その街の様子をうかがい、さらに不動産会社等に入って、今の生の現状をリサーチしたりします。
そして、もうひとつ、なんとか時間を捻出して、その土地の歴史的な過去の発展繁栄を偲ぶ建造物等を訪れたりして、往時の息吹に触れておく、という考えがあり、
地味ではありますが、クライアントと打ち合わせの時に、その会話に深みを持たせるというか、理解をしようとする心や努力が不思議とクライアントに伝わり、満足度があがり、心地よく聞き取り調査が行われるもとになっているんですねっ。
こうしたとろは、非常に厳しく徹底的なところがあり、勉強になるんですねぇ~。
では、不動産鑑定士津田修身顧問のご投稿をご覧いただきましょう。(撮影カメラはパナソニックGH1+14~140mm 7~14mmです。)
富山・岩瀬の北前船回線問屋「森家」を訪ねて
北前船とは、江戸後期から明治初期にかけて日本海、瀬戸内海、大阪を結ぶ航路を中心に活躍した買積み回船のことです。買積み回船とは、船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる回船のことです。
北前船は、一航海千両(今の額で一億円)といわれ多くの長者を生みました。
岩瀬は、敦賀や橋立(石川県)などと共に北前船主の出身地のひとつで、海商のまち、北前船のふるさといわれています。JR富山駅から軽快なライトレールで20分、現在の富山港、神通川河口近くの町、岩瀬大町に国指定重要文化財「森家」があります。
建物は明治11年築、延べ約80坪で、どっしりと重厚な構造をもつ回線問屋町家です。玄関から背後の船着場まで「通り庭」(土間廊下)が通じているのが特徴です。
母屋の「オイ」と呼ばれる間は、能登材の豪壮な吹き抜けの梁組みのもと、黒松の一枚板の帯戸や黒柿で囲ったいろり等、かたわらのそろ盤ともどもかつての商取引の現場にふさわしいものでした。
黒檀や天然絞り杉の床、屋久杉の板戸等希少的な銘木材も見ものでした。このような建物が往時、加賀藩政時代には20軒も建ち並んでいたとのことです。
機会があれば、北前船の歴史街道“岩瀬”を再訪したいものです。
津田顧問の大阪の新田会所シリーズと同じで、輝けるその土地の発展繁栄の歴史に、直接生で触れる機会は、非常にリアリティがあり勇気づけられるものがあります。
単なる懐古趣味ではなく、何かそこから現代の私たちが学びうる「ヒント」を、かすかにでもいいから、掴みとることが大事だと痛感しています。
お話を聞くと、この森家のお隣の馬場家も同じく回船問屋として儲け「長者」となり、学問の基礎となる、富山大学の敷地の不動産を寄進されたとのこと。
こうした功績は非常に大きいと思います。
富が増えることにより、物質的に豊になり、人々の生活が潤い心に余裕が出来て、その地域や国が富、経済、文化が花開いていくことが、よくよく分かりました。
本だけを読んでいても、凡人のとむすけでは、まだまだ、実感できない、理解しかねるところ多々あるので、今回はそうした意味での収穫が大きかったです。
わらしべの「藁」を、精神的に掴んだ感じでしょうかぁ~。
それをどう、育て、富ませていくかは自分の知恵や努力次第ですから、ぼちぼちと頑張ってまいりたいと思います。(^o^)