☆今年も早くも、慌ただしく年末が押しせ迫る時期に差しかかってまいりました。
『メリークリスマス♪』ということで、本年一年、無事に大過なく過ごせましたことを、地球神主エルカンターレに心より感謝いたします。 (^人^) <(_ _)>
『エルカンターレの祈り』のような、主、自らの直説の祈りは非常に強力なバイブレーションを感じさせていただけますね♪
また、当社のお客様、友人、知人、ご近所様を含めた皆様に心より感謝いたします。m(_ _)m
相変わらずの忙しさで、時間が無くお一人お一人にご挨拶はできないで本当に申し訳なく思っていますが、こうして有効な、元気になるような情報発信は続けてまいりますので、さらなるご理解とご鞭撻を皆様どうかよろしくお願いいたします。
Come what may – たとえ何があろうとも - という、水澤有一さんの奉納曲は、主のスケールの大きさ、偉大さを十分に感じさせていただけるので、とても好きな曲であり
クリスマスイブやクリスマスを、いつもより少し真摯で敬虔な気持ちで迎えさせていただいています。
救世の法P131~から引用させていただきますね。→救世の法特設サイトはコチラ
それでは、イエスの考えは、どうなのでしょうか。
イエスは、幸福の科学において、非常によく出てきている支援霊の一人です。
私がある支部を年末近くに巡錫したときのことですが、ちょうどクリスマス前の十二月二十日ごろだったので、支部の入り口には、私を迎えるために大きなクリスマスツリーが立っていたのです。
このように、幸福の科学は、寛容と言えば寛容な宗教ではあります。
もっとも、クリスマスのころになると、わが家のリビングにも、子供たちがクリスマスツリーを飾り付けるので、文句を言える立場にはないかもしれません。
その日の説法は、「青春の心」という題で、支援霊は天御中主神でした。
日本神道の中心神が支援霊を務める説法のときに、クリスマスツリーで出迎えられたので、「何とも変わった宗教だな」と思いました。
門松が置いてあれば合っていたのでしょうが、幸福の科学はこういうことが許される宗教なのです。
ほかの宗教では、キリスト教系でなければ、やはり、教祖の行事のときにクリスマスツリーは立てないでしょう。
このあたりが当会(幸福の科学)の緩やかなところですが、イエスは、それほど当会の中に深く入っていて、指導してくれています。
そのように幸福の科学とは非常に親和性があるのですが、そのイエスの考えは次のようなものでした。
「今、『キリスト教文明』対『イスラム文明』の戦いが続いていて、今後も、かなり厳しい戦いが続くと思われますが、幸福の科学の教えが、しだいに世界に浸透し、広がっていくでしょう。これが第三勢力になってくると思われます。
『イスラム教』対『キリスト教』という戦いの構図から、次ぎに、幸福の科学という勢力が新たに出てくることによって、一時期、『三国志』的な勢力分布に変わっていき、やがては、新しい宗教である幸福の科学が他の二つを呑み込んでいくかたちになっていくでしょう。
そう考えています。
したがって、私としては、キリスト教を、幸福の科学と親和性のあるものにしていき、最終的には、イスラム教のほうの憎しみの部分を消していきたいと考えています」
イエスは、そのように言っていました。
大きいところの意味では、本当にそうならんことを心より強く願うものであります。
※リバティウエブ参照記事→中東革命の霊的背景とは