大阪屋 たてものブログ

映画 「二十歳に還りたい。」を、観た感想を少し…。

☆映画「二十歳に還りたい。」を、公開初日の夕方に、なんばパークスシネマで初めて見たのですが、映画の最後の方クライマックス時に、悪役(明香の引き立て役)というか女狐(めぎつね)が登場した時に、これって女狐じゃなくて女狸(めだぬき)やん、顔のイメージからして全く違うやん、女狸やん!

もうちょっと細面の狐顔の女優さんを持って来て、見てからしてイメージに合うようにしてくれたらなぁ~。良かったのに…。と、思ってしまい、「ああ、あんたはそこをツッコムんかい!」と言われてました。(苦笑)

気を取り直して、MOVIX堺にて10月9日の12:00から、2回目を観ました。

こうして挿絵的に使用している写真は、早めにMOVIX堺に着いたので、裏の堺浜のスナップ写真(今回は意図しないままグレインエフェクト・粒状感が「強」になってしまっていて、写真が見事にザラザラです。)を30分くらい撮って、その後、昼食を頂いて映画を観る、私的観賞フルコースで愉しみました。

2回目ともなると、落ち着いて細かいところもよく醒めて見えて来るので、この映画そのものから受ける印象というか、主、エル・カンターレの「無償の愛」を「慈悲」を強く感じながら拝聴させていただけました。

ここまで(映画を作ってまで)して、我々に何らかを悟らしめんとして、与え続けようとして下さっていることこそが「無償の愛」だということなのだろうと、強く感じました。本当にありがたい、貴重な機会を賜っていますよね。

たとえば、今で言えばこの映画 二十歳に還りたい。が「光」だとすれば、宏洋の幻冬舎から出版した、嘘や捏造だらけの批判本が「闇」とか「影」と言われことになると思いますが、初心者の方や免疫の無い方は、まずは毒されないことですね。

その次に、されど「光」を求めよ。と、いうことで、「光」を選び取ることに集中することが、陰陽的に考えても何ら間違いありません。ある意味、反論などは「闇の打ち返しの専門家」(担当者)に、任せておけばよいだけですね。

目には見えないですけれど、宗教的に「光」と言われるもの、エル・カンターレの「光」を確かに受けて、ストーリーに感動し、元気になるというか、気持ちが高揚するというか、とにかくいい感じになるのですが、

最後、寺澤一徳が明香を助けて夢から醒めて、結果、明香に看取られてPPKで亡くなっていくことになって、寺澤一徳は本当に幸せな最期を送ることが出来て、本当に良かったと思います。そう、それで良かったんだ!と。別な言葉でいうと芥川龍之介さん的に「蜘蛛の糸」を掴めて、一徳が救われて良かったということですよね!

文学的な余韻が残るとはこういうことだったんですね…。

もし、寺澤一徳役を私が自由に演じることが許されるのなら、経営の神様的なところは難しいとしても、さすがに、もう少しは女心を分かっていたいし、少なくとも転生輪廻ありきで来世、来々世も、私のそば近きに居て人生を共にしてくれないか?と、勝手というか、わがままを承知の上で、本気でそう言いたいと思いますね!もちろんその相手も、転生輪廻を知って悟っていないと成り立たない話ですけども…。

いやぁ、明香みたいな可愛らしい純粋な女性だからこそ、そういう気持ちが起こるのであって、これは映画の中だけの話で、ふつうはなかなか無いですからね。そこに男のロマンというか、純粋な気持ちが呼応し、魂が揺さぶられるのだろうと思います。

個々のシーンにおいてもいろいろと思うことはあるけれども、

毎回、これだけのバラエティに富んだ、宗教的文学的映画をHSが作り続けていること自体が、やっぱり奇跡なんだと思います。

確かに、「呪い返し師 塩子誕生」は、マンガチックで文学的余韻はなかったけど、逆に、結論ありきの勧善懲悪型で、間違いなく一般の方の小学校前あたりの子供(女の子)がよろこんで、映画を観終わって、映画館を出る出口前まで「払い、返し、守る、いぇ~いっ!」と何度もアクション付きで、

口づさんでいたのを確かに目撃したので、即席で将来の塩子候補が誕生していましたから、「将来、正義感の強い立派な女性に、育ってくれたらいいよなぁ~。」と、思いましたねぇ~。

その見る人の対象を変えているだけで、そのつど映画は、何らしか個々の人の心に強く印象に残るもの(潜在意識的に)なので、底知れぬ威力ありますよ。間違いなく!そのように思います。

今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

つづく。

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