ハイエク先生の公開霊言を読ませていただいて、とむすけが心惹かれたところを抜粋し、記憶に残しておこうという趣旨で、記事にしたいと思います。(時間をみつけて抜粋していこうと思います。)
とことん、記事にして書きすぎて、この「未来創造の経済学」が売れなくなって、幸福の科学出版さんからお叱りを受けてもいけない(まぁ、冗談ですが)ので、もう1つだけ記事にさせていただこうと思います。
特に、経済学を学ばれている若い方のこれからの必読書といえると思います。
今回は、サブプラムローンやリーマンショックについて学びたいと思います。
これはケインズ先生、ハイエク先生のご見解がほぼ同じであるところが注目すべき内容ですね。
いずれにせよ、マスコミでいわれるような「資本主義の終わり」とか「資本主義の死」などの程度の低い見解(悪しき言論)ではありません。
では、見てまいりましょう。
P57 ハイエク先生 「サブプライムローン」の問題はマルクス主義的政策の失敗
アメリカの「サブプライムローン」のことを、あなたはおっしゃいましたけれども、あれは、資本主義の行き詰まりによる崩壊ではありません。実は逆であって、「本来、資本主義的であるべき人たちが支持者層を増やそうとして、左翼の思想を採り入れ、失敗した」というのが実相ですね。
ブッシュ元大統領が、左の勢力を支持者として取り込むために、「所得があまりなくても家が建つ」というような学者の提言を採り入れ、「そういう魔法のような公式があるなら、それに乗ろう」として行ったのが、あのサブプライムローンですね。
ですから、あれに入っているのは、要するに、「働かなくても結果が与えられる」というような考えであり、これはマルクス主義ではないですか。ずばり、そうでしょう。
収入があまりなくても家が持てる。夢のような話でしょう?
ところが、これは、誰かが損をしないと成り立たないことです。損をした人がいるわけです。誰が損をしたんですか?それは、投資をすることができた金持ちたちです。「金をもっと儲けよう」と思って投資をした金持ちたちが、兆の単位の、いや、単位は何と言っていいか分からないぐらいの大きさですけれども、ものすごい損をしましたよね。
だから、実際にはマルクス主義が起きたんです。
そして、世界の大金持ちや高所得者層で、「株の運用よりも、さらにいい運用が何かないか」と探しているような人たちの金が、根こそぎもっていかれました。
マルクス主義的なものを実現しようとして失敗したわけです。
でも、そうした金持ちから、“搾取”し、彼らを破産させることには成功しました。大企業や高所得者たちを破滅させて、多くの人たちを失業者にしてしまったのです。
しかし、「家を持てる」と夢を語られた低所得者層もまた、債務が払えなくなり、自分の家に住めなくなって、家を持てない、“浮浪者”になろうとしているのです。
結局、これは「マルクス主義的なものの変形を理論経済で粉飾した」ということであり、「資本主義の行き詰まりによって混乱が起きたわけではない」ということです。「マルクスの預言が当たったのではなくて、マルクスの言ったとおりにやったために失敗した」と見るべきです。
「リーマン・ショック」の意味は、そういうことです。これは間違ってはならないと思う。
だから、マルクスの言っているとおりでしょう?「各人が、能力に応じて働き、労働に応じて取る」というのが社会主義的な考えでしょうし、
それを超えた共産主義は、もう、「労働」に応じてではなく、「必要」に応じて自由に取れる社会でしょう?働こうが働くまいが、物が溢れていて、自由にもらえる世界でしょう? 魔法の世界ですよね。
「そういうユートピアの世界というものは実際にはない」ということですね。
「やはり、勤勉の結晶が富となって、それが人々を幸福にする種となるのであり、このプロセスを抜きにしてのユートピア世界は、経済面においてもありえない」ということです。これを知らなければいけない。
だから、サブプライムローンの問題は、実は、「本来、アメリカの民主党が行うべき政策を、共和党が、選挙に勝とうとして、先取りして行い、失敗した」ということです。
「ブッシュ大統領が、それに引っ掛かった」という面もあるし、「経済の番人や金融の番人にも、それが見抜けなかった」という面もあります。
だだ、「世界恐慌は起きない」と幸福の科学は預言して、その通りになりました。それは、確たる読みがあっての意見でもあったし、また、「起きない」と言ったことによって、「言葉の力」で恐慌の発生を抑止した面もあったとは思いますね。
そのことを一つ言っておきたい。
■ここから、ケインズ先生のご見解です。
P114 「低所得者層でも家をもてる」というのは“アヘン経済学”
リーマン・ブラザーズの破綻を見ても、結局、そうだったろう? まあ、低所得者層が家を持てるようにすためにつくった理論だったけれど、「現実には収入がほとんどないないのに、『家』という財産をを持てる」ということは、普通はありえない。
例えば、誰かが補助金を出してくれるか、宝くじ風に、降って湧いたようにお金が手に入るか、そういう通常の経済原理とは違うものが介在しないかぎり、低所得層が、きちんとした一戸建ての家を持てるなどということは、ありえないことだよね。普通は、安アパートに住まなければいけないのが、当然の理だよ。
ところが、「数値の操作によって、それができるようになる」と考えた、ノーベル賞レベルの頭脳を持った人たちがいたわけだ。それは、やはり、実態経済や人間の生活、あるいは人間の感情を理解していない証拠だと思うんだよ。
そう言うことが可能であるためには、お金がたくさんある人から、何らかのかたちで大大量に“マルクス的な搾取”をするか、どこからともなくお金が降って湧いてくるような状況がなければいけない。
さきほど、私はラスベガスの話をしたね。ラスベガスには、ピラミッドもスフィンクスもあって、私には懐かしい風景なんだが、ああいうラスベガスのようなところで、お金持ちに余ったお金をたくさん注ぎ込んでもらい、利益として出た、その巨大な資金をばらまいてくれるような場合だね。
あるいは、「『もっとお金を儲けよう』と思って欲に目が眩んでいるお金持ちを理論的にうまく騙し、彼らからお金を巻き上げてばらまく」という操作だな。サブプライムローン問題の場合、現実にはこちらをやったというべきだね。
数学上の計算によって、「低所得者層でも家を持てるようになる」ということを言ったわけだ。
要するに、いろいろなものを複合的に組み合わせることによって、債務不履行による損の部分を全体世界に散らせば「いったいどの部分が損になっているのか」が分からなくなるということだ。
CDO(債務担保証券)やCDS(債務不履行によるリスク回避するための金融派生商品)などを複合的に組み合わせた金融商品をつくり、それを世界中にばらまけば、「いったいどの部分が、誰の借金なのか」が分からなくなるということだな。
そのような金融商品をつくることによって、損の部分を“透明”にし、誰の借金なのかを追跡できないようにしたわけだ。
ま、これは一種のごまかしだな。これこそ、アヘンだ。
「貧乏人でも家を持てるようにする」という“アヘン経済学”に大統領などが見事に食いついてしまったし、アラン・グリーンスパンという、もともとは頭の良かった人も騙された。
それほど巧妙な「詐欺師的理論」がつくられて、みな引っ掛かったわけだな。
しかし、実際に実態経済の世界でやってきた人が、まっとうなアドバイスをしたならば、ああいうことはならなかったはずなんだ。もっと分かりやすく言えば、実際に、世界恐慌を経験し、貧乏の中から商売をしhて店を大きくしたり、家を建てたりしたことがあるような、おじいさん、おばあさんの世代が生きていて、彼らが「世の中に、そんなうまい話がるわけない」というアドバイスをしたならば、よかったんだよ。
普通の人間の常識的な判断では、「おかしい」とうことが分かるのに、数学によって騙されるということが起きたわけだ。
数学というものは、まず、一定の前提があり、それから、「この場合には、必ずこういう結果になる」という原理・原則があって、それに則って結論が導かれる。
あなたも、昔、数学のテストを受けたことがあるだろうけども、もし前提が間違っていたら、あとは全部間違いになるよね。
例えば、証拠写真などで、「場合分け」をしたりするだろうけども、最初の前提が間違えたら、そのあとは全部間違いになる。
ただ、全部間違いになっても、いちおう筋が通っていたら、学校のテストでは「部分点」をくれたりすることがあるけども、実体経済では、「部分点」はもらえないから、全滅してしまうんだよ。
そういうことが、最近起きたということだな。これは、ある意味で「経済学に倫理がなくなった」ということでもある。「倫理」という言葉で言っていいのか「人倫の道」と言ったらいいのか、私にはよく分からないが、人間として生きていく上での「正しさ」かな? 単純に言えば、「やましさのない経済行動で豊かになることは、恥ずかしいことである」ということだな。
やましいことでお金を儲ける方法は、世の中にはたくさんあると思う。例えば麻薬を売って儲ける人もいるし、自分の手を汚したくなければ、裏で糸を引きながら、麻薬取引をするような人も出てくる。
でも「人倫の経済学」というか、「人間の健康を害するようなものを売ってお金を儲けることは、やはり、恥ずかしいことである」という考えが入ってくれば、そういうふうにはならないわけだな。
特に、数学や物理など、理論的な学問をやっている人のなかには、信仰心がない人も多いし、文学を理解しない、例えばシェークスピアも読まないような人がいっぱいいるわけだよ。つまり、人の感情が読めない人がけっこういる。
多少文学を読んだり、宗教を勉強したりしていれば、「悪徳商人などがどんな罪を犯すのか」「どんな人が地獄に送られるのか」というダンテ的な世界観も分かるんだが、そういうことも考えずに、ただただ、利益が最大になるような方向に行くんだな。
そういう数学的な理屈でやってもいいんだけれども、そうは言ってもだね、これから先の経済学は、最初の動機の部分において、「やましさ」があるものは、基本的に許されないものだと思わなければいけないな。
それから、マルクス経済学の間違いは、手段・方法の部分にある。動機としては「貧乏な人を幸福にしたい」という気持ちがあったのかなと思うが、その課程における手段・方法のところで、彼は「暴力革命を通して、ユーートピアをつくる」ということを言った。
しかし、ユートピアはいつまでたっても来ないから、「ユートピアが来るまでの間は、暴力革命をやり続けても構わない」ということになる。 その間、大勢の人が粛清され、殺され続けても、「これは、最終ユートピアが来る前の段階なのだ」と言って、日本全国を放火して歩いても、構わないことになるわけだ。 マルクス主義の経済学の下では、現実に、そういうことが起きているということだね。
だから、「動機において善」であり、そして、その過程においては、「手段・方法の正当性」ということが必要だ。そういう、世間で認められている倫理にもとづいた、一定の裏付けは必要だな。
そして、「人類の豊かさを実現する」という結果が大事だ。 この三拍子が揃った経済学でなければ「未来の経済学」としては、やはり不完全であると言わざるをえないね。うん。