大阪屋 たてものブログ

どうすれば、絵や写真が向上するのか♪

☆クリエイティブなことは「創造の法」がオススメで、この経典がこれからの創造の根源、クリエイティブなことの根源になると前にいいましたが、

 限定したお話ですが、

 どうすれば、今以上に「絵」や「写真」が向上できるのか?

 考えてみますと、

 そのバックボーンに、主エルカンターレの高度な「法」を学んでおく、

 真理知識を学んでおくと、

 その絵や写真にも、芸術美術にも、相当な深みが出てくると思います。

 これが一点と、

 あと、

 一流という方々の作品を観たり、その考え方思想に触れる機会を多くもつということが、あげられると思います。

  そういう方々は、その個性の違いはあれど、普遍的な共通点が何かあると思うんですね。

 ここからは、

 とむすけの個人的なメモの領域に止まるかも知れませんが、少しづつでも学んでいきたいと思います。

 多少なりとも、参考になれば幸いです。

 ここでも「動画」を上手に活用してみたいと思います。

 

 あの人に会いたい 日本画家 東山魁夷 先生のお考えを、動画で少々学んでみたいと思います。

 

 ふだんですとだれも見たことのない風景をかきたいという希望もあって
見逃してしまうような風景なんですが、
それが命にあふれていまして、

 そういう経験をして 戦後はその時のような
気持ちで絵をかこうと思った。

 それは自分の心が純粋になっていたからだと思うんです。

 欲というものが他力によってぬぐいされていたような気がする。

 芭蕉の「静かに見れば物みな自得すといえり」という言葉がある。

  あの静かにというのは心を無にする
利害得失を離れてという意味
で、

 物の生命が見える喜びをいった言葉

 何気ない風景、光景のなかに生命の躍動を強く感じていらしゃることを、いっているのではないでしょうか。

  こういうところをかこうと思って歩くのではなくて、

  そう言う気持ち捨てて歩いていると
相手の方から、声が聞こえてくる。

  向こうから発信音が出ているんだろうと
思うんですけれども、

 こちらの機械に雑音ばかり入っていると
感度が鈍って聞こえない
それと波長が合っていないといけない。

 空や無我というような執着のない、心静かなさわやかな心境でいると、被写体の方と波長があい、被写体の方からの描いてほしい、撮ってほしいというメッセージをキャッチできる。

 また、その被写体を撮らせようとする方々の働き、

 心の波長があわないと、そうした気づきや恩寵もなく、すぐれた絵や写真はまず描けない。

 絵をかくということは
祈ることだという気持ちが多い。

 唐招提寺の障壁画にかかわらず
障壁画をかくようになって、 いっそう
その気持ちが強い。

  鑑真和尚にささげる障壁画ですので
自分というものは無になっている
わけです。

 私の絵は色彩の絵が多かったけれど、
精神的な世界を目指していた。

  主エルカンターレに、仏神に捧げる、献上するといった絵や写真をめざして、無我の境地で努力すること、その心境が大切。

 墨絵というものは色をなくして
一色でかく場合になると
感覚的な要素は薄れて精神的な
要素が深くなることは確かです。

  写真でいうと、モノクロ(白黒)写真がそれに非常に近い。精神的な要素を強く出したい場合はモノクロ(白黒)表現が適していることは確か。

 それは私の望む世界の一つです。

  生命は与えられたものですから
もう少し深い境地へ達したい。

  自分の心がもっと澄んでいきたい

 大きなエネルギッシュなことでなく、小さな仕事でもいいから、
  心のこもった仕事をできるだけしたいそういう念願です。

 普通の風景も心が純粋になれば生命にあふれる

 なるほど、非常に勉強になりました。ありがとうございました。m(_ _)m

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  • コメント ( 1 )
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  1. >こういうところをかこうと思って歩くのではなくて、
    そう言う気持ち捨てて歩いていると 相手の方から、声が聞こえてくる。
    >主エルカンターレに、仏神に捧げる、献上するといった絵や写真をめざして、無我の境地で努力すること、その心境が大切。
    こんなところが、感応しました。秀でている方の言葉には、精神的に深いものをお持ちですね。それは、写真にしても絵にしても、現れてくるのですね。そういう意味においては、心を磨くということは、何事においても原点ですね。

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