大阪屋 たてものブログ

君のまなざし、私的覚え書き 3

道円のコピー☆ああ、すみませんね。FBに誕生日の書き込みメッセージを沢山いただいていたんですね。今、気がつきました。(>_<) FBは休眠中ですので・・・。この場を借りて御礼申し上げます。m(_ _)m また、皆様の陰陽師系の神々のご加護を心よりお祈りいたします。本当にありがとうございました。

さて、最後に今回の映画「君のまなざし」を通じて、陰陽師(和製エクソシスト)についても、私的覚え書きを3として少し残しておこうと思います。

映画「陰陽師」では 野村萬斎さん演じる安倍晴明公VS道尊(真田広之さん)同じく「陰陽師Ⅱ」では安倍晴明公VS 幻角(中井貴一さん)で、「君のまなざし」では、天野光健(梅崎快人さん)VS道円(大川宏洋社長)の『対立構図』の見方で、それぞれ比較対象としての鑑賞は十分に成り立つと思います。

結論からいうと、それぞれ同じ陰陽師でも大きな差があるということです。今回の天野光健(梅崎快人さん)VS道円(大川宏洋社長)でも、実際に大きな差があります。

なぜ、袂を分かつことになったのか?

もちろん、身寄りがなく恵まれない子供達を集めて孤児院を運営して来ていて、助けたアヤ共々、国司の藤原兼保(日向丈さん)たちに仕返しされ惨殺されてしまい、怒り心頭で道円自らが復讐の鬼と化して、兼保の屋敷に単独乗り込んで成敗しに行く。

そのシーンだけをとると、ふつうに道円に対して「そりゃ無理もない!」というような感情や、「兼保のような極悪人は滅ぼせよ!それが正義や!」という気持ちにもなるのも無理はないと思うのですが、もう少し知恵があり客観的に冷静にみれば、何か他に違う手が打てたはずだし、そもそも、何でそのような事態に巻き込まれるのか?なぜそういう状況を引き寄せたのか?という疑問があります。

「兼保を成敗していればこういうことにはならなかった。」と、道円は言っても、国司を殺せば自らの死刑は免れないでしょうし、場合によれば一族諸共死刑になる可能性も大ですよね。そうなると道円の日頃の善行や正義も、日常生活もすべて破壊されるので、そりゃ元も子もないでしょう。

やはり、道円は「時の権力者」に対し、日頃の圧政に対し、常々強い怒りを持っていた。と、考えるべきで、三世の因果でさらに深く考えると、やるかやられるか、迫害するか迫害されるか。の転生を、繰り返しているということ。

道円が逆の人生、逆に「時の権力者」になる人生コースを体験すれば、何故か道円以上のようなバケモノに、理不尽に、命を狙われて殺される立場に立つということです。いや、さらにもっと前の過去世で、そうして来ているような感じです。

一方、光健はそうしたことを熟知していて道円を説得するも虚しく・・・。

もっとも厳しい言い方をすると、道円は『祟り神』ということになるはずですね。

 

1000年後

最低限の悟りを得て、朝飛に生まれ変わった時には、同じシチュエーションの最後で『分かっているけど気持ちがついて来ないんだよ!』と叫ぶ。おそらく健太(光健)の言うことは頭で分かっているけど心がどうしても納得出来ない、追いつかないということなのでしょう。

では、『結界論』から少し見てみると、

『結界論』の1.心の波長の違う者同士は、気持ちが同通しないのだ。とありますが、光健は道円の心情も十分に理解しているが、道円が光健と気持ちが同通しない、気持ちがついて来ない。という事実があります。(これが「波長同通の法則」の実際)

同じように「神様を信じていても、その信じる度合いが違う」でしょ。

「苦労や苦難、逆境があるから、神がいないということではありません。そのような苦難のなかを、多くの人々が生きているからこそ、神は必要なのです。そして、神は実在します。どうか、もう一度、初心に戻って、信じるところから始めて下さい。スタート点は、信じることです。そして最終点は、信じ切ることです。信じるところから始まって、信じ切るところが、あなたがたの終着点になります。信じ切ったとは、この世において、どういうことになるのでしょうか。それを、あなたがたの考えで、言葉で、行動で示してください。」(伝道の法 P322)

やはり『信じ切る』ところまで行きたいものですよね!

『結界論』の3.心の隙をつくるな、あなたの執着するものが隙を作るのだ。1000年後、朝飛が父親と和解して父子関係の問題は解消されたものの、朝飛(道円)の残る執着は、先ほどの「時の権力者」に対して強い怒りと、苦労して手に入れた「念力・法力」みたいなものでしょう。

確か、道円は神職の師匠である洋禅(黒沢年男さん)に、「あれほど鬼の力を引いて来るなと言っただろうが!」と叱られていたと思うので「念力・法力」みたいなものに対しても、人を驚かせ攻撃する、人を殺めるとか、人を潰すとか、黒魔術的なマイナスな使い方(鬼の力といわれているので、恐らく阿修羅の怒りの力でしょう。)を今世でもするなら、朝飛は今後もやはり厳しいと思います。

特に道円のような傾向にある人は、自らの正当性を主張して俺が正義で神に成り代わって「敵」(悪)を成敗・・・。自分が代わりに(裁きの)神になろう。と思うから。むしろその「念力・法力」みたいなものを自ら『封印』することの方が大事だと思うのですが、それを自らの強みと思っている以上、どうしてもそれを使いたくなるので、さて、その結果プラスに出るのか、マイナスに出るのか、どちらに転ぶか分からない危うさを常にまとっています。でも基本的には、ほとんどマイナスだろうと思います。

『結界論』の5.心清き者と交わり、力を合わせよ。健太にすれば天上界にいるあかり(天宮巫女)のことだろう。朝飛にすれば健太のことだろうが、今後試しが沢山現象化して来ることが予想されるので、よほど朝飛が謙虚にならないと、健太との良好な関係は維持し難いと思います。

『結界論』の6.心の魔物に打ち克つには、澄み切った、穏やかな心を維持することだ。朝飛が健太を呪詛し白目を剝かせたシーンがありましたが、あかりが「憎しみに囚われてはダメ・私の目をみて!」と過去世回想シーンに入りました。

残念ながら、現実には「生霊」や「のろい」「呪詛」はありますから、防衛体勢を強化持続するために、心の魔物に打ち克つ必要が出て来ます。澄みきった、穏やかな心を維持するために、この『結界論』を「戒」にしたり「六大煩悩のチェック」や「八正道」の実践など、できることなら、常日頃から自分に合うもの(反省法)を、使いこなしておきたいものですよね!そうすれば、万一危機に出会ったとしても、白目を剝くような、恐ろしい事にはならなくなるはずですよね。(笑)

 

今回は特に長文かつ、陰陽師のマニアックな内容でしたが、最後までご覧いただき、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

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